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ROUND2の続きです。
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ちょっと話の時系列は前後するかもですが、NAHAマラソン開催日まであと1週間程となったある日の事。
私は夜中に物音で目が覚めたのでした。
私は実家の部屋で寝ているのですが、下からの物音で目が覚める。
部屋の間仕切り戸を大きな音を立てて開け閉めしながら叫ぶ人物がいる。
???「だれかおらんかー!!」
その聞き覚えのある声は間違いない、私の父上だ。
時計を見ると午前3時ごろ、どうしたのだこんな時間に?
急いで階段を駆け降りて、父上の部屋に向かうと既にその部屋の前には母上が到着していたが、間仕切り戸を「ちょっと怖くて開けれない。」とのこと。
部屋の中に明らかに正体不明の人物がいるのであれば、相手の虚を突くためにハリウッド映画みたいに戸を蹴り破るのだがw、中にいるのはほぼ間違いなく父上なので、この状況だと逆に「父上がどんな状態なのかがわからず怖い」という思いが先に出る。
おそるおそる父上の部屋の戸を開けてみる。
そこには明かりも何もついていない部屋の中で立ち尽くしている父上の姿があった。
そして私たちに気付くなり、ろれつ回らない口調で話し始める。
父上「オレを今から病院に連れて行け・・・。」
思わず顔を見合わせながら「?」となる私と母上。

何処か身体の具合が悪いのかを尋ねるも・・・
「・・・身体が悪い、だから病院に連れて行け。」
具体的にどこが悪いとは言ってくれない。
とりあえず現在の時刻と、病院はこの時刻は開いていない事を(この場合救急外来の事は言わない)話すも、なかなか納得する様子がなく30分程傾聴すると、父上が次第に眠くなってきたため、そのままベッドに寝かせると寝息を立てるようになった。
ここで一安心したところで、母上と少し話をした中で、二人の考えは珍しく合致した。w
これはほぼ間違いなく「認知症」の症状の一つでしょう。
こうなりそうな予兆はあった。
数年くらいから予兆はあった。
父上はそもそも夢見が悪い傾向が強く、夜に寝言を頻繁に言う事が多い。
いや、寝言を「言う」というよりは「叫ぶ」が表現としては適しているかもしれない。
その寝言は年を追うごとに激しさを増していき、言葉だけではなく半覚醒状態みたいな感じで身体が動くようになっていった。
実際に身体がその夢の内容によってはベッドに上から床にダイブしたり、壁や家具を相手に刃牙のように何かをイメージしながら殴打したり、何故か壁に向かってバッファローマンのハリケーンミキサーのごとく頭から突っ込んでいったりと、私が気付いて部屋に行き、ケガの手当てをすることも珍しくなかった。
そして徐々に通常の会話でも何故か「父上がこちらに話題を振っているのに、こっちがそれに対して返そうとするともう既に全く関係ない違う話題を話そうとしている。」的なのが増えていき、それが次第に「普通の事」になりつつあった。
そして2025年の11月頃にはまともにトイレで用を足せなくなってしまい、父上が使用した後は次の人が使用に耐えられない程汚れている事が増えるようになった。
今まではそんな感じだったのだけれど、ここに来てそれらに加え、同11月中旬ごろから深夜に覚醒しての奇行が目立つようになってきたのでした。
その奇行のトリガーはおそらくは「尿意」からであると思われ、その頻度はわからないけれど、私がたまたま夜間トイレに入るとかなりの確率で父上がトイレのドアをノックしてくるので、かなりの頻度なのだろう。
その時にトイレが排泄で汚れてしまうのもさることながら、トイレに行った後にその間に気になることがあるとそれに執着してしまい、時にはそれが大きな音を立てる程の行為に至ったり、物的破損に至ることもしばしば。
そしてそれらの奇行に対応をしているは大抵私なのです。
もし私が沖縄に行けば、それらの対応はすべて母上が担うことになる。
実際に、上の写真の出来事からほぼ毎日父上は深夜に何らかの行動を起こし、都度対応するという日々が続き、私も本来の寝床である2階から1階に降りて寝袋を使用して寝る・・・と言うか、何かあった時のために待機する事が多くなっていき、安眠できる夜も少なくなり疲労も蓄積していきました。
「ヤバいなぁ・・・これ今回沖縄には行けないかもしれない・・・。」
この段階では旅行に関するキャンセルは既にお金は返金できない時期になっていたけれど、それはもうどうでもよかったんです。
一番気がかりだったのは、今回沖縄に行けるかどうかをまだレイさんに連絡できていない事でした。
沖縄には行きたい、でも行けないかもしれない、どんなしたらいいだろう?そんな気持ちが心の中をぐるぐると回りながらも時はだんだん過ぎていきました。
そして、時は2025年12月5日(金)
遂に沖縄に旅立つ前日となったのでした。
この日はもし「行けるならば」職場から直接出発しようと思っていたので、愛車デウスーラ号に旅行荷物は積んでいたのでした。
仕事を終えて、母上に父上の様子を確認するため連絡してみる。
「いまのところは落ち着いている。」との事だった。
私は準備はしているものの、今回の旅行については十中八九「行くのはやめよう」と思っていました。
この日を迎えるにあたり、父上も病院を受診しているので、いくらか症状は日中の緩和されてはいたが、夜の状況についてはあまり改善は見られない。
やはり、今回は行くのを取りやめた方がいい。
私は今回の沖縄に関して、行かない事を言及しようとすると・・・
母上「行ってこんね」
私の言葉を遮るように母上は言うのでした。
母上「朝から荷物をたくさん持って行きよったくせに、あんたがおらん間は長男にお願いするけん、心配でせんで行っておいで。」

子(・・・って言っても私はもう50過ぎですが。w)の気持ちなんて親はやはりお見通しなのでしょう。
そういう意味ではいくつになっても親ってのは子が越えられない存在なのでしょうね。
私はその「行って来んね」の言葉に甘えることにしました。
その日の仕事は珍しく順調に進み、ほぼ定時には職場を退社し、JR諫早駅へ向かうのでした。
・・・って、今回は殆どマラソンの要素皆無の内容だなぁ。w
(^▽^;)
つづく。
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